遠い日の記憶。

バンクーバーやニューヨーク、ロンドンなどの大都市と呼ばれるところでは、彼らをよく見ることができる。今日はそんな時にふと思い出すある人の話をひとつ・・・。
二十歳を過ぎて大した意味も、もちろん金もないのに六本木で遊んでいたある日のこと、ひとりの男がオレのいた店に入ってきた。とにかく彼は男のオレから見ても、びっくりするぐらいのオトコマエな上、高そうな服を身につけていた。下手な俳優よりよっぽど目を惹く。その時、彼に感じた独特の一種のオーラのようなものは明らかに普通とは違うものだとすぐに悟った。
丁度、自分のドリンクがなくなったこともあって、トイレに行くついでにカウンターへオーダーに行った。彼はカウンターの隅っこに座り、頬杖をついて退屈そうにしていた。トイレから戻ると、彼はまだ同じ表情を浮かべ、グラスに入った氷を指でいじっていた。その頃、おれの周りでは何故かポーカーが流行っていて、夜を際限なく浪費していた。ただ、退屈だったからだ。
結構、人見知りする方だと自分では思っているが、彼を見たとき、妙な好奇心からか、こっちから声をかけた。「トランプしない?もちろん、賭けるんだけど・・・。」彼はちらっとオレに目をあわせ、「いいけど・・」と返事した。
ポーカーはオレと彼とカウンターにいるマスターと三人でやり始めた。始めは金額を低くし、徐々にそれを上げていく。長い間、少しずつ積み上げたものも、たった一回の勝負でなくなることは良くあった。ただ、みんなそれに熱くなることもないまま、淡々と仕事のようにこなしていた。
ゲームを進めていくうちに、場も和み、世間話も出来るようになって、彼の事が少しずつ分かり始めた。名前はケイ(仮名)、どうやら夜の仕事、今は一人暮らし、年はオレと同い年などなど。さほど当たり障りのない会話が続いた。店が珍しく混んできたせいもあって、途中何度かの中断を挟み、結局マスターが今日は無理だなとゲームを降りた。二人でやっても仕方ないから、トランプを元あった擦り切れた紙のケースにしまい、そのまま二人でカウンターに並んで飲んでいた。
もうとっくに終電もない時間で、オレは始発までそこで無駄に時間を過ごすつもりでいた。決してその店が特別居心地がいいわけでも、騒がしく鳴り響く音の中にいることも大してスキでもなかった。ただ、どこにいても退屈だったからだ。すると彼はタクシーで帰るけど、乗っていくかと聞いてきた。彼は板橋方面で池袋に住んでいたオレには都合が良かった。帰れるのならまぁ家の方がいいかと思い、そうする事にした。店の外で拾ったタクシーに乗るなり、疲れていたのかマルイ池袋とだけ言い残し、すぐに寝てしまった。気がついたときにはタクシーを降りていた。あれっ!?ここどこ?寝起きだが見知らぬ場所にさすがにとまどう。すると彼が、池袋に着いたとき、起こそうとしたけど全然起きなかったから、仕方ないからうちに連れて来たとすまなそうに答えた。ここは彼が住んでいるマンションらしい。かなり新しくキレイなマンションだった。
まぁ、泊まっていけばいいよというので、その日はそこに泊まることにした。一眠りして腹減ったからコンビニで何か買ってくるよと言いながら向かおうとすると、ラーメンだったらすぐに作れるよと言う彼の言葉に甘えることにした。オートロックの玄関を通り抜け、普通のとは少し違うやや重厚な造りのエレベーターに乗り、9階の彼の部屋へと向かう。
玄関を入ってすぐに飾られた高そうな絵やきっと海原雄山?が創ったであろうおかしな形をした、よく分からないがきっと高いであろう壷に赤い花が生けてあった。彼の部屋は何処かのモデルルームと見間違えてしまうほど、広い空間に洗練された家具やインテリアがセンス良く配置されていた。イタリア製だという真っ赤なソファに腰掛け、うちの何倍あんだろ?って思えるテレビを見ながら、彼が作るラーメンが出てくるのを待った。
ひとつ、不満があると言えば、部屋が暑すぎたことだ。ケイは異常なほど寒がりで部屋の暖房も十分すぎるほど効いていた。彼曰く、冬はこの世で一番必要のないものらしく、それを憎んでさえいた。クリスマス・イヴ、バレンタインデーは女の子以上に大好きだが冬は消えて欲しいらしい。
タバコを吸いながら、くだらない深夜番組を眺め、二本目のタバコに手を伸ばそうとした頃、彼がラーメンを持ってやってきたので、それをまた箱に戻した。出てきたのはとても短時間で出来たとは思えない具沢山でうまそうなラーメンだった。冷めないうちにと促され、それをすする。驚くほどうまい。普通に市販されているモノだからと謙遜してはいたが、おれが作ってもこうはならない。あっという間に平らげた。しかもお茶やデザートも言ってもないのに出てくる。恐ろしく気が利く。
ここまで読むとさすがに、あれっ!?何かおかしいなって感じている人もいるだろう。そう、あなたの考えている通り、彼はゲイなのだ。
彼は男女で言うと女役の方でいわゆるネコと呼ばれる人だった。いつもは新宿二丁目に勤めているそうだ。主語はワタシと言っているらしいが、オレにはアタシとしか聞こえなかった。まぁどうでもいいことだけど・・・。ともあれ、しゃべり方や仕草は完全な女だった。日に焼けた細い身体に俳優顔負けの小さく甘いマスクが乗っかっている。その完全な容姿に知らない女はいくらでも群がるが、真実を知ると(当然すぐバレる)、蜘蛛の子を散らすように去っていく。その時、捨て台詞を吐く心無いヤツもいるそうで、その度に傷ついているそうだ。
そんな彼とオレ、肉体的な関係は全くなかったが(強く言っておく)、何故だか妙にウマが合った。それからもヒマがあれば彼のマンションへ行き、次々に出てくるうまいものを食べ、色んな事を語り合った。完全な男でも女でもない彼だからこそ、おれも色々言えたのかもしれないが、今思えばメシが一番の目的だったかもしれない。その頃、金のなかったオレが口にしていたのは、タバコ、コーラ、UFOやきそば、アルコールぐらいのモンだったから、かなりそれは助かった。もちろん彼はそれも知った上で、ご馳走を振舞ってくれた。
ただ、そんな関係もそう長くは続かなかった。彼に男が出来たのだ。話によると新しい彼は霞ヶ関で働く官僚らしい。本当の愛を見つけたと壊れたラジオのように騒ぐ彼に気を使って、それから彼のマンションへは行かないようにした。きっと彼もそれを望んでいただろう。
それからしばらくしたある夜のこと。突然、彼からの電話に目が覚めた。そして迷惑にも今から来て欲しいと涙ながらに訴えている。死んでしまうかもとワケのわからないことを口走っていて、電車もなかったから急いでタクシーで向かった。部屋に入ると広い部屋の隅っこで体育座りし、俯いてしくしく泣いている姿があった。仕方ないから話を聞いてやることにした。
どうやら、彼とひどくケンカしたらしく・・・、そんなことでオレを呼ぶなよと思ったらそれにはまだ続きがあった。あまりにひどいケンカをしたあと(まぁ、二人とも一応オトコだからね)、ヤケになったケイはゲイ専門の映画館へ行き、そこで知り合った見ず知らずのオトコとやっちまったらしい。しかもその映画館の中で・・・。
あまり、深入りしたくないディープなお話しに少したじろぎながら、どう言ったらいいもんかと、まだ眠っている脳細胞を揺り起こしていると、彼が「やっぱり検査に行ったほうがいいよね?」と聞いてきた。
検査とはそう、エイズ検査のことだ。またそれにも強く引いてしまったオレは、「そうだよ、そりゃ行かなきゃダメだよ!」と感情がこもっていないながらも声を大にしてこっちの必死振りをアピールした。正直、眠いのだ。早く片付けて帰りたいのだと心の奥底で強く叫んでいた。
結局、無駄とも思える紆余曲折の末、今回のことは仕方のないこと、つまり不可抗力?で、検査に行ってなんでもなければ、それは全てが許されている証だとワケの分からぬ、都合のいい話にケイは自ら結論付けた。これっぽっちもオレの意見ではなかったが、オレが言ったといわんばかりに感謝され、結局オレは始発で家に帰った。
数週間か経って彼からの電話で検査は大丈夫だったということだった。その後もケンカのたびに何回かこういう騒ぎを起こし、その度に行くのも馬鹿らしいから全て電話で済ませた。そして決まって最後には神様が許すという彼独特の都合のいい解釈で幕を閉じるのだ。当然、彼の一人相撲だ。相づちが打てればきっとサルでも出来るだろう。もうこの頃からうんざりしていた。
ほとんど連絡がなくなり、忘れた頃にケイからいつものように突然、電話があった。彼が転勤で北海道に行くのだが、それに付いていこうとしているらしい。
そしてケイは、「アタシはシアワセになるから、りゅーちゃんもシアワセになってね!」と言い残し、どうやらホントについていったらしい。あとにも先にもオトコにちゃんづけで呼ばれることはもうないだろう。っていうかアイツ、寒いの苦手だったよなぁと思いながらも連絡がその後なかったのは、北の大地で無残にも凍りついたか、東京の映画館で新しい恋を見つけたからに違いない。