あなたの信じるもの。

Jesus

先週、シアトルに行ってきました。ヴィクトリアからフェリーで行ったんだけど、もう船の中からUS$しか使えなかったのにはちょっと驚いた。加えてカナダドルに慣れてるから結構金銭感覚が危険だった。入国審査も何だか厳しくなってるし、大変な世の中になったもんだって改めて思った。前にアメリカ本土に行って日本に帰国したのがあのテロの3日前だった事もあったから余計その傷の大きさと深さを感じずにはいられなかった。
シアトルについてまず感じたのがここは紛れもなくアメリカなんだって事。ヴィクトリアに長くいるからこそ強く思うことなんだろうけど、街の雰囲気とかはまったく異質のものだった。ヴィクトリアにはシアトルに乱立する西新宿みたいな高層ビル群なんてないし、人々はみんなのんびりと過ごしている。対してシアトルには様々な欲望の匂いみたいなものがあちこちで渦巻いていて良く言うならエキサイティングな街。みんな忙しなく動いているように見えるし、国境を隔てただけでこんなにも違いがあるもんなんだなって。人種もヴィクトリアとは比べ物にならないほどの国の人々が共存してるみたいだしね。
ダウンタウンの中心部を走るバスは誰でも無料で乗れるから色々な人々が乗り込んでくる。昼過ぎにそのバスに乗って次の目的地に向かっていると向かい合った席に布(ヒジャーブ*1 )を頭にかぶった女の子達が5、6人座った。イスラム教徒の子供達なんだろけど、その布がすごくおしゃれなんだよね。全然、宗教色を感じさせない色使いで何人かで固まっていなければただのファッションだって思うほどかっこよくつけてた。年は多分、高校生ぐらいなのかな?話題も日本の高校生がするのと変わらない他愛もない話ばかり。みんな活き活きしていてすごく楽しそうだった。
9.11以降、アメリカに住むイスラム教徒の人達は理不尽な迫害や嫌がらせを受けて、きっと彼女達もひとつやふたつはいやな思いもしただろうけど、彼女達が見せる屈託のない笑顔からはその影は微塵も感じられなかった。まぁその子達は騒ぎすぎてその後、乗り込んできたアフリカン・アメリカンやヒスパニック系の人とかにうるさいって怒られてたけど、今しかない時間を彼女達は精一杯楽しんでいるように見えた。

オレが通ってた学校には色々な国の人達が勉強に来ていた。彼らと話すと時々、宗教についての話題になったりする。その中の一人で、ブラジル人の彼は自分は熱心なカソリック教徒ではないけれどもと言いながら、彼の信じる宗教を分かりやすく教えてくれた。日本は仏教だよね?って当たり前の事のように彼は言い、それはどんな教えかと尋ねてきた。自分の中で仏教というものが漠然としすぎて、彼の完成された説明の後では恥ずかしくて口にすることすらできなかった。今の生活の中で自分の宗教とよべるものを意識した事などほとんどなく、多分ほとんどの日本人がそれに近いと思う。人は弱く、誰もが何かにすがりたいと願う。荒廃してしまった日本の宗教。だからこそそこに付け込むニセモノの神が今の日本の社会に横行しているのかもしれない。

イスラム社会において女性には様々な制約がある。イスラムの社会では女性が高い学歴を持つことはあまり良いこととは考えられていない。家庭に入り、子供を育てることが最大の役目であるからだ。また結婚は自分で決められず、全て両親が決める。よって、日本のように結婚前に誰かと交際したりすることもってのほかである。もちろんこれは男性にも当てはまる男性に聞いてみたところ、「あたりまえじゃないか。結婚前に妻以外の女を愛する必要がどこにある?」との返事。

これらの制約がアメリカなどで住む若いイスラム教徒の女性の悩みのひとつであるらしい。若いイスラム教徒の女性の中には自分はアメリカで育ったから、誰かと付き合ったり、高い学歴を求めることは当然の権利であると考えている。しかし、彼らの両親はそうは思っていない。当然彼女をそうさせまいと妨害する。彼女たちは両親の教えに逆らいたいのだが、そうするとイスラムの社会で家族自体がつまはじきになってしまい、家族の迷惑になってしまう。結果として、彼女たちは男性と映画にすら行ったことがない事が多いようだ。

まるで一昔前の日本を見ているようだ。われわれの価値観で考えると、あまりに閉鎖され、自由のない社会にイスラム教徒は属しているようだ。ちなみに牛肉を食べるヒンドゥーの人は見たことがある。宗教の持つばかげた固定観念を打破するのだと彼らはいう。さて、こういう意識はイスラムにこれから興ってくるのだろうか。もしかしたら、頭にベールをかぶった女性を見ることが珍しくなる世界になるのかもしれないし、何十年,何百年経っても今のままかもしれない。イスラムほど時計がゆっくり進むものはない。

イスラムでは一夫多妻制が認められている。それはその昔、イスラム対メッカとの争いで多数のイスラム信者の男性が亡くなってしまい、多数の未亡人が国中に溢れてしまった。その未亡人達を路頭に迷わせないためにとった制度らしい。決して日本人が考えるような不純な考えからではないようだ。
またラマダンと呼ばれるイスラムの断食は日本でも有名だけど、その断食月は日の出から日の入りまで食べ物を口にすることは許されない。当然、人間だから腹も減る。隣を見れば自分と同じように空腹を我慢する者の姿。ここで同じ苦しみ(?)を共有する事で他のイスラム教徒たちと連帯感が生まれるそうだ。辛いのは自分だけではないと・・・。太陽が沈むと人々は食べ物を持ち寄るなどして宴会が行われる。人々は空腹から解放された喜びを分かち合う。それがラマダンの間ずっと続く。イメージが湧きにくいがかなりバカ騒ぎするらしい。戒律により酒は口にできないがそこには我々日本人と何ら変わらない笑顔があるはずである。

*1:ヒジャーブ・・・女性のイスラム教徒が、夫や近親者以外の男性の前で、髪の毛や肌を覆うスカーフ