いのちの授業

100万回生きたねこ

日本でこの事がより多くのメディアによって大きく扱われていた事を心から望む。ここでは多すぎる情報にまみれ、見逃してしまった人たちに・・・。
何も言う必要はないと思う。ただその意味をゆっくりと考え、心に刻む事ができれば・・・。

校長先生はがんだった。自分でそう言いながら、ずっと教壇に立った。「元気で3学期に会いましょう」と終業式で言ったのに、戻ってこなかった。死に向かう自分を通して、命の意味を考えてほしい。悲しみや涙が、子どもたちの心を耕す。
そう考えた校長先生の授業は、「命の授業」と呼ばれた。

 神奈川県茅ケ崎市立浜之郷小学校の大瀬敏昭校長は今月3日、亡くなった。57歳だった。

 校長先生は99年11月、がんで胃のほとんどを取った。02年1月、がんが他に見つかった。体重は20キロ近く減り、医者に「もって6カ月」と言われた。

 それでも先生は学校に通い続け、教壇に立った。

 昨年5月、5年生の授業でのこと。「先生は胃をとったから、みんなみたいに食べられないんだ」と言った。「死ぬんじゃないの」と1人が心配そうに聞いた。

 「不思議だよね。少しずつ栄養が入るんだ」。肩掛けカバンには栄養剤の袋が入っていて、首の付け根に差した管につながっていた。「動きにくいし、お風呂にも入れない。でも、出来ることはいっぱいあるんだよ」

 童話「わすれられないおくりもの」を読んだことがある。

 みんなに慕われるアナグマが死んで、森の仲間たちは悲しみにくれる。でも、アナグマの思い出を話し合ううちに、悲しみがやわらぐ。

 校長先生が読み終えると、みんなは先生を見つめたり、あたりを見回したりしていた。少し間を置いて、「こういう命のこと何て言おうか」と聞いた。「続いている命」「心の中に残っている命」と次々に声が上がった。「1人のアナグマが死んだとしても、みんなの心の中で永遠に残る命があるんだよ」

 感想文に、男の子が「ひとのいのちや自分のいのち、どっちともたいせつだとおもう」と書いた。女の子が「生きていたことをみんなにおぼえてもらいたいとアナグマさんはそう思ったのではないでしょうか」と書いた。

 奥谷英敏教頭(52)は、校長先生の別の面も見ていた。「普段は病人であることを忘れて教師でいたが、『痛いな、危ないかな』と死の恐怖をのぞかせることもあった。弱気になるといけないので、聞いていないふりをした」

 昨年12月24日の終業式、体育館で約720人を前に、校長先生は童話を読んだ。これが最後になった。

 25日、入院。元日に容体が急変。3日未明、穏やかに亡くなった。

 始業式の8日、森田潤一教諭(30)は担任する4年2組で、校長先生が次の授業で使う予定だった詩「千の風になって」(新井満・訳、講談社刊)を読んだ。

 「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています」

 みんな下を向いてじっと聞いた。そして目をつむり、校長先生を思った。

1人が言った・・・。「先生が言ったこと、思い出した」





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◆ 「命の授業」で使われた本  ◆


 「100万回生きたねこ」(佐野洋子 作・絵)

 「クマよ」(星野道夫 文・写真)

 「わすれられないおくりもの」(スーザン・バーレイ 作・絵)

 「ポケットのなかのプレゼント」(柳沢恵美 作)

 「あおくんときいろちゃん」(レオ・レオーニ 作)

 「きみのかわりはどこにもいない」(メロディー・カールソン 文)

 「でんでんむしのかなしみ」(新美南吉 作)

 「こいぬのうんち」(クォン・ジョンセン 文)