いかりや長介さん急死

いかりや長介

がん転移…いかりや長介さん急死
 ザ・ドリフターズのリーダーで俳優としても活躍したいかりや長介(いかりや・ちょうすけ、本名碇矢長一=いかりや・ちょういち)さんが20日午後3時半、頚部(けいぶ)リンパ節がんなどのため東京都港区の東京慈恵会医科大学付属病院で死去した。72歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取りは未定。いかりやさんは、昨年5月末に原発不明頚部リンパ節がんで緊急入院。2カ月後に仕事復帰したが、数日前に体調が急変した。自宅にはドリフターズのメンバーが弔問に訪れ、悲しみの対面をした。(スポーツニッポン

朝、パソコン開いたら、この記事にすごく驚いた。何だか自分のおじいちゃんが、いなくなったようでとても悲しい出来事。近年、その肩に力の抜けたシブイ演技と絶妙な間を持つ俳優として活躍し、コメディアンとしてだけでなく大好きな役者だったのに・・・。日本の数少ない名優がまた一人、この世を去ってしまった。
小さい頃、どっちかと言えば『ひょうきん族派』ではなく『ドリフ派』だった。当時のドリフは今思えば、全盛期をとっくに終えていた時期。当然、学校の話題もひょうきん族の話題が多く、見てないオレはちょっと肩身が狭かった記憶がある。保守的な親がひょうきん族の笑いに対し、批判的で見せてくれなかったのが一番の理由。ただ、友達との会話についていけない程度で、自分自身は『全員集合』のある時間が大好きだった。分かりきってるストーリー展開とオチの連続。それに見飽きた人は、新しいお笑いのひょうきん族に夢中になっていたけど、オレはいかりやさんとメンバーの繰り広げるやり取りが、おかしくて仕方が無かった。テレビの前で、志村うしろぉーとか、何でいかりや早く来ねぇんだよって叫んでた。あとドリフのバカ兄弟とか好きだったなぁ。数え上げればキリがない。
ある時、生放送でスタジオが停電になって、暗闇の中いかりやさんが懐中電灯だけを持って、ステージでどうもすいませんって何度も謝ってたのも、何だかつい最近のことのようだ。思えば、オトナの人が真剣に謝っているのを見た一番最初かもしれない。(笑いもあったけどね)画面は真っ暗でザワザワと観客の声だけが聞こえ、今考えればとんでもない放送事故。リーダーとして謝るいかりやさんにあなたのせいじゃないよ!って思いながら、それでも何度も頭を下げる大人の男の姿にオレのちっちゃなココロはきゅっとなった。それでもドリフのみんなは、何かやってくれるんじゃないかっていう期待で胸が躍ったあの夜の出来事。
まだ幼かったから、社会や自分の環境に何の不満すら持たず、幸せだったあの頃。オレのそばには、ずっとドリフターズがいて、その中心には、いかりや長介がいた。目を閉じれば『だめだこりゃ!』って聞こえる気がする。
でも今は、きっと天国で多くの人達を笑わせて、楽しませているに違いない。最後に今まで本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。