CANADA DAYで考える旗と歌の意味

CANADA DAY

今日、7月1日はカナダデーと呼ばれる日本で言う建国記念日みたいな感じの日。カナダ全土で様々な式典や催し物が行われた。街はカナダ国旗であふれ、何人かのカナダ人は国歌である“O!CANADA”を歌いながら歩いていた。
それにつられてか、観光客も国旗のメープルリーフのフェイスプリントをしたり、無料で配られる国旗を持って、その雰囲気を楽しんでいた。もちろん、多くの日本人も・・・。
ナショナルホリデーにもかかわらず、おれは仕事してたので、大きなイベントのある場所には行けなかったけど、みんな思い思いの格好でカナダデーを祝っていた。いい文化だなぁってつくづく思った。
そして、ふとそれを自分の国に置き換えて考えてみた。・・・日本じゃできないよなぁ。もちろん、やってもいいだろうけれど、違う意味で注目を集めてしまう。きっと街宣車で高らかに演説しておられる方々からお呼びがかかる。
日本では国歌とされる“君が代”や国旗と認識されている“日の丸”でさえ、誰の目も気にしないで歌うことも掲げることもできない。子供を教える身である教師でさえ、それを妨害する世の中。そんなのはおそらく日本ぐらい。大きな問題なく出来るのは大きくて国際的なスポーツイベントぐらいなのかな?今は・・・。
そこには色々な問題が山積していてきっとオイラのアタマじゃ、理解できないだろうけど、それがダメなのなら全く新しいものを作ればいいじゃんってのがおれの考え。きっと色んな所から反発されるんだろうけど、あえて言ってみる。
こっちに来て、より鮮明に見えてきたのは日本人の国に対しての誇りの無さ。それに対し、他の国の人と話すと誰もが自分の国に生まれたことを誇りに思っているのを常々感じる。自分はそんなの全くない。きっと若い世代の人たちはみんなそうだと思う。
もちろん、そんなもの無くたって生きてはいける。無いからといって金取られるワケでも、命が危険にさらされるワケでもない。でも日本以外の国の人はちびっ子でも持ってる。まぢでびびる。
そんな状況だから日本人の中には誇りってモノが形成されないんだと感じる。ぐだぐだやってる双方が歩み寄って、問題を解決するなんて事は決してないだろうから、それだったら新しいのつくろうよ!

もちろん、新しく作るのはアタマが石器時代のおっさんたちではなくて、若いおれ達。
そう、右でも左でもないおれ達。
しがらみのない自由な発想でそれぞれを作り、未来の子供達が胸を張って国旗を掲げ、国歌を歌えるような国になればいいなって思う。